No.9('98)

はじめまして 、私は現在スペインに住んでいます。
去年の2月26日に私達の初めての赤ちゃん「尚太」が生まれました。
2080gと小さかったけれどとても可愛い私達の赤ちゃんだったのに。
生まれて8時間ぐらい経ってから先生からちょっと呼吸が早いといわれ、
でもその時のレントゲンでは肺は きれいで。
だけどそれから数時間後で肺炎を起こしたらしいって言われました。
翌日の早朝 尚太は近くの少し大きい病院へ。
(私はスペインの米軍基地にいるので)
そこで肺炎を治療していたけども良くならず
検査の結果心臓に奇形があると解りました。
しかしそこでは治療しきれないと言われ
今度はとても大きい病院へ移りました。
その間私と主人は毎日病院へ通いました。
(私は出産の翌日に退院していました)
毎日病院へ行く度に新しいそれも良いことではなく
悪いニュースが私達を待っていました。
「先天性複雑心奇形」それが尚太の病気でした。
言葉では説明しかねる位とても珍しくて
そこの小児心臓外科の先生も 初めて見たと言っていました。
(それは私達をとても不安にさせました)
有無を言わせず手術の為に主人が承諾書にサインをしました。
(後にその事が主人を悩ませる事に)
知らない国で、分からない言葉で、説明も十分でないまま
全ては進んで行きました。
私達にはそれしか選択の余地はなかったから。
(親なら死ぬと解っていれば危険でも手術の方を選びますよね)
手術はやはり危険度が高く、成功はしたものの
尚太自身にとても負担がかかっていて、次の日に心不全で亡くなりました。
一度も家へは帰れず。
ベビーベッドやその他の物を すっかり準備していたので
それを片づけるのは本当に辛かったです。
おっぱいも帰ってきたらあげたいと思って毎日絞って冷凍していたんです。
(最後の方は悲しくて泣きながら絞っていました)
抱っこしたのは生まれた日と亡くなった日だけなんです。
何にもしてあげれなかった。

貴方のホームページは 私の1年前を思い出します。
見ていてとても辛かったけどとてもとても貴方の気持ちが解ります。
本当に大変でしたね。
私も周りの言葉に腹を立て、傷つきました。
私達は お葬式さえしてあげれなかったんです。
亡くなった翌日に火葬して少しの間(航空券の 手配が付くまで)
スペインにいて、それからお骨と一緒に主人と日本へ帰りました。
今は私の母がお墓の世話などをしていてくれます。
お墓は私達がスペインへ戻った後でできたんです。
まだ実物は見てないのです。
本当はもっともっとお話して聞いてもらいたいけど
とても長くなるからこの辺で止めます。
この気持ちは 同じ経験をしたものにしか分からないと思って
人には話してないんです。
でも スペインに戻ってから基地の中にあるカウンセリングに通いました。
だけどやっぱり日本人の人と話したかったんです。
ありがとう。 私だけじゃないんですよね。
解っていたけど 孤独でした。
お互いに前向きに生きて行きましょう。
泣きたい時は 泣いた方がいいらしいです。
とにかく自分を押さえては駄目らしいです。

不思議なのですが 実は 今年の2月26日に
私達に赤ちゃんが生まれたのです。華子っていいます。
尚太のイタズラ?なのか同じ誕生日なんです。
だから毎年 一緒にお祝いです。
この妊娠はとても大変だったけど(精神的に)
今ではこの子を産んで良かったと思っています。
皆は尚太が私達があんまりにも悲しんでいるので、
心配して華子が生まれるようにしたんじゃないかと言っています。
尚太は SOUMAくんと一緒に遊んでいるのかな?
私はまた笑えるようになったけどやっぱり寂しいですよね。
同じくらいの男の子を見ると生きてたらなあとか思ってしまいます。

実はギャラリーは見てないんです。ごめんなさい。
私と余りにも同じ時に同じような事を経験しているから
自分とオーバーラップして見れないのです。
もう少し時間が経って冷静になったら見させていただきます。
今は辛すぎて見れません。 本当にごめんなさい。
長くなりましたが これからも ホームページ見て行きますから。
頑張って下さいね。
それでは さようなら。
皆さんが幸せになれることを 祈っています。

スペインから沢山の愛を込めて