No.19('98)
私も同じ左心低形成症候群で、初めての子“凌ちゃん”を亡くしました。
読んでいて自分の子と重なり、涙が溢れ、とまらなくなりました。
今回初めての妊娠だったのですが、順調ではなくいろいろな事がありました。
30週目の時、切迫早産気味になり、『里帰りしてはダメ!』と
言われたのですが、それでも里帰りしてしまいました。
(東京から宮城県岩沼市への里帰り出産でした)
今思うとこれは凌ちゃんが『行かないで、お父さんと離れないで!』という
サインだったのかもしれません。
37週目の時は妊娠中毒症で1週間の入院、そして退院の日に置き引きに合い、
鞄を盗まれてしまいました。
その中には印鑑や健康保険やいろいろ入っていましたが、私にとって
何よりも大事な大事な母子手帳を無くした事が一番のショックでした。
(東京に戻ってきて1週間たった頃でしょうか、その犯人が捕まったと
連絡がありました。鞄は見つかりませんでしたが、犯人だけでも
捕まってくれたので安心です。きっと凌ちゃんが捕まえてくれたのだと
思います)
嫌な事ばかりが続き『まさか産まれてくる子が異常だったらどうしよう』と
思ったりしましたが、『でも、自分の子は絶対大丈夫!』と信じていたのに。
予定日を1週間過ぎた41週目の時、
『赤ちゃんも下りてきてるし、子宮口がすでに5cm開いています。
いつ出産してもいい。あとは陣痛さえくれば。』というので、
すぐ入院になりました。
ところが、なかなか陣痛がこなくて、『今日もダメかな』と思っていたら
突然破水し、それからあっという間に、なんと分娩時間2時間という
スピード出産でした。
1998年7月13日 23時43分 2930g 女児“凌ちゃん”が誕生したのです。
41週になってもなかなか出てこなかったのは、
凌ちゃんはこれから起きる出来事を知っていたからなのでしょうか。
次の日の朝、心臓に異常があるということがわかり、
すぐ産院から東北大学病院へ移されました。
病名は左心低形成症候群。
お腹にいる時は全くわからず、この時初めて知りました。
そして心臓移植、姑息手段としてNorWood手術、
手術をしないで薬だけで1ヶ月の命、この3つの選択になったのです。
手術は7月21日 になりました。
今までの面会時はいつも眠ってばかりで起きた顔を見た事が
ありませんでしたが、なぜかこの日だけは朝からずっと起きていました。
そして手術へ向かう間もずっと起きていてくれて、
その時初めて目を大きくあけた凌ちゃんのとっても可愛い顔を見たのです。
そして(私は見れなかったけど)夫が、凌ちゃんの初めて笑った顔を
見たのです。
凌ちゃんはこの時、自分の死を知っていて
私達に最後のお別れをしていたのでしょうね。
9時から手術がはじまり、先生に呼ばれたのが21時頃でした。
心臓の縫いは終わっていたのですが、人工心肺から自分の心臓へ換えた時に
凌ちゃんの心臓は動かなかったそうです。
電気ショックのような衝撃を直接心臓にかけてみてもやはり凌ちゃんの心臓は
動かなく、そして凌ちゃんの体力限界とも言われました。
20時44分、凌ちゃんは天国へ逝ってしまいました…。
病院から、冷たくなった凌ちゃんを受け取り、初めて抱っこした我が子。
やっと自分の所へ戻ってきてくれました。
でも、もう凌ちゃんには表情がありません。
とても死んでいるようには見えませんでした。
スヤスヤ眠っているみたいに安らかな顔でした。
抱っこも、母乳も、おむつ交換も、沐浴も、何1つしてあげられなくて。
健康な体で産んであげられなくて。
ごめんね、凌ちゃん。ほんとに悔しいです。辛いです。
7月23日、岩沼で火葬をして、その後すぐ東京に戻ってきました。
今は小さくなった凌ちゃんが家にいます。
亡くなってからの1ヵ月間は何もする気がなくなって誰とも会わなくなり、
ずっと一人家に隠って泣いてばかりいました。
でもようやく最近、前の生活に戻ってくるようになって
やっと何かが吹っ切れたような気がします。
悲しい事だけれども、時が癒してくれるのを待つしかないのですね。
それと、もうひとつ。バルーン(妊婦雑誌)に載っていた言葉なんですが、
「子供は生まれてくる前、天国で神様に自分の寿命を知らされて、
それでもいいからとお母さんのお腹に宿る」というのがありました。
この言葉を読んだ時少し心が癒されました。
凌ちゃんもわずか9日間の命だったけれど、
それでもよかったんだよねと思えるようになりました。
今、こうやってメールを書いているときでもこの全国のどこかで
世界のどこかで、同じ左心低形成症候群、その他の心臓病で
亡くなっている子がいると思うととても悲しいことですね。