No.25('98.9.21)

はじめまして、SOU-MAMAさん。
すてきなホームページですね。
こういった形で思い出を残せるなんていいですね。
実は私の娘も同じ病気でした。
今年の夏、3番目の子供として生まれて家族の一員になるはずでした。
上2人は、7歳と5歳ともに男の子です。
5年ぶりの待望の子供、しかも女の子だとわかっていたので、
みんな大喜びでした。
生まれる2ヶ月前までは・・・。

5月22日長男の誕生日の日でした。
仕事帰り、急にお腹が張ってかかりつけの病院にいきました。
超音波検査を約1時間実施、医師より
「赤ちゃんのお腹に水(腹水)が溜まっています。
血液検査をしたり、詳しい検査が必要なので入院してください。」とのこと。
でも、腹水は自然に消えることもあると聞きさして心配はしませんでした。
6月3日より産科に入院。
毎日、超音波検査実施。血液検査には異常なし。
しかし、しばらくして先生より
「どうも心臓の左右のバランスが悪いようだ。」と告げられました。
そして羊水検査も実施。
心臓奇形は染色体異常の子供に現れやすいからと。
しかし羊水検査は異常なし。
6月22日のその日、女の子であることがわかりました。
それから小児科の医師による超音波検査実施。
7月1日、一時退院。そのころには腹水は無くなっていました。
だからもう心配ないものと思いこんでいたのです。

1週間ごとに外来通院、そして帝王切開が決まっていましたので、
手術の5日前に入院し小児科医師の超音波検査実施。
このころ主人には
「重い心臓奇形のため生まれても助からないかもしれない」と
説明があったそうです。
私には、産前ということもあり、だまっていたようです。

8月11日出生、すぐにNICUに運ばれました。
その後、左心低形成症候群であると知りました。
しかし、手術をすれば助かる例もあるとのことでした。
お腹の中でわかっていた分、大学病院への手配もできており
とてもラッキーな子でした。
手術は成功しました。
4日間で胸も閉じられました。呼吸器ももう少しで外すところでした。
母乳も28mlも吸収できて便も尿もでて順調ですからといわれていました。
だけど・・・・・・・・MRSAに感染してしまったのです。
あっというまに体中に菌がまわり重篤になってしまいました。
次々に抗生物質を替えてゆきましたが、どれも効かない。
ついに交換輸血3回しました。
このころには、もうやめて、もういいから・・
点滴や管を抜いて家につれて帰りたい気持ちでいっぱいでした。

名前は礼奈と付けました。
目の大きいあの子は呼びかけると必ずぱっちりと開けて答えてくれていました。
亡くなる前日まで・・・。
最期はとても安らかで亡くなる3時間前から主人と付き添い、
心電図計が0を示すまで看取ることができました。
かわいがってくれていた看護婦さんみんなにみてもらえるようにか、
ちょうど朝の申し送りが終わる9時10分でした。

亡くなってはじめて、この手に抱くことができました。
家につれてかえって、お化粧をしてやるととてもきれいな顔になりまるで、
眠っているかのようでした。
楽しみに待っていた妹。
でも「死んじゃった・・」といって2人のお兄ちゃんたちは、泣きました。
しかし、本当に不思議なことにお棺に入れるとき
あんなに足が紫色になって腫れていたのに、
真っ白で治っているみたいでした。
みんなで「礼奈ちゃんは、ちゃんと体が治って天国にいくんだね。」と
話しました。

お葬式は、生まれてからちょうど1ヶ月後の9月11日でした。
書くととても長くなるので書けませんが、出生と死亡にまつわる日にちや時間、
夏休みだったお兄ちゃんの都合、ちょうど研修だったお父さんの都合など
すべて神さまが準備して、実行したとしか思えないくらい、
きっちりと都合よく事が運ばれていったのです。
これは、本当に不思議なのです。
あと「むしのしらせ」というのも経験しました。

亡くなって今日で12日目です。
今も夜がいやです。眠れない、手足が熱くなる、動悸がするなどなど、
私の場合、帝王切開で3回出産したのでもう4回目はありません。
もう生めないという寂しさと礼奈がいない寂しさと、虚しさと、
同居の苦しさとでもうぐちゃぐちゃの気持ちです。
2人の子がいるからいいじゃないと言われますが、
娘によせる思いが大きかっただけにショックはやわらぐどころか
日増しに強くなっているみたいです。
でも、わたしだけじゃないんだとこのホームページを拝見して思いました。
少し落ち着いたりできるのは、やはり時間が経つしかないのでしょうか?