No.31('98.12.7)

ホームページを初めて拝見したとき涙がでて仕方ありませんでした。
それ以来なぜか居心地がよく、しばしばお邪魔させていただいております。
我が家の美月は今年の6月15日に生まれ、8月27日に亡くなりました。
一ヶ月検診も無事に終わり、後二週間ほどで産休が明けるというとき、
うんちがレモン色になり、枝豆見たいなものが混ざるようになりました。
最初、この子の兄(3才)が、枝豆を食べさせてしまったのかと
疑ってしまいました。
同時に今までなかった黄疸がでてきたため、近くの小児科に行きましたが、
ほっとけばよい、神経質になりすぎだと怒られました。
(その通りだとよかったのですが・・・)
怒られちゃったら、大きな病院に連れて行くことなんかできないです。
出産した産婦人科に週に一度国立病院の小児科の先生がくるので、
念のためもう一度診察にいき、胆道閉鎖かもしれないとの診断を受け
検査にくるように言われました。
検査だけのつもりが、美月はそのまま家に帰れなくなりました。
肝臓が働いていないため、血液の凝固因子が製造されず、
いつ出血して亡くなってもおかしくない状態だったのです。
点滴の量が多いため水分を取りすぎると腎臓に負担がかかる、
ミルク・母乳は肝臓に負担がかかるという理由で
一日に200CCしかミルクをあげられませんでした。
(今でも涙がでてきます。)
あまりの肝機能の悪さに胆道閉鎖ではなく、ウイルス性の劇症肝炎と
診断が確定しましたが、ウイルスを確定することもできず、
対症療法しかありませんでした。
(肝炎を引き起こすウイルスはABC型肝炎のほかに
300種類くらいあるそうです。)
入院して二週間が立ったころ、ついに肝性昏睡をおこし意識がなくなりました。
交換輸血を行いましたが意識が回復せず、生体肝移植しかないと
京都大附属病院に転院、すぐに手術準備に入りましたが、CTスキャンにて
大脳がもうほとんど機能していない、移植しても脳死か、植物人間になる、と
移植手術をすることができず、3日後なくなりました。
美月の死は親の無知も原因だと思っています。
主治医の先生は一生懸命やってくれたと思っています。感謝もしています。
しかし直ぐに子供の劇症肝炎の症例を見たことがある病院に
転院させるべきだったのでしょう。
亡くなった後、いろいろな人が慰めようとしているのだと思いますが、
なぜ言葉を言おうとするのでしょう。
一緒に泣いてくれるだけでいいのに・・・
「直ぐにまた子供が生まれるよ。次はもっといい子かもしれないよ」と
言われました。
この言葉は本当に許せなかったです。