No.55('00.2.9)

私は去年の10月14日に長女を予定より3ヶ月も早く出産しました。
700グラムしか、体重のない超未熟児でした。娘は翌日亡くなりました。
私達夫婦が娘に触れることが出来た時間はわずか1時間あるかないかでした。
医師には「既に呼吸が弱くなっています。今日、明日が山でしょう。
もし生きた場合も 肺が未熟なのでかなり重度の障害がのこるでしょう。」と
いわれました。
このときわたしたち夫婦は、呼吸器をとめてもらうようにおねがいしました。
もしあの時、呼吸器をとめてなかったら・・・
もっと、もっと娘を抱けたかも知れません。
でも私は小さい体で機戒を一杯つけられて助かる見こみもないのに
ツライ思いをさせるのは、まちがっていると思ったのです。
今でも私達夫婦のこの判断は間違っていたのでは?と思いなやんでいます。
私はわずかな時間ですが自分がはじめて産んだ子供に触れた時に
「なんてかわいいんだろう」「なんていとおしいんだろう」と
娘から伝わるぬくもりに母性を強くおぼえました。
妊娠中、お腹の張りに気ずかずに動きまわっていた自分を責めました。
お腹の子の命の尊さを気ずかずに取った言動を心から後悔しました。
「ごめんね。愚かなママをゆるしてね。」と・・・・・。
私は娘の写真を見ながら「目が開いたらどんなお顔なんだろう」
「笑ったらどんなお顔をするんだろう」
「怒ったらどんなお顔をするんだろう」と日々思います。
今だに私はお腹に娘が居たときの感じがあります。
もう娘が居ないことは充分にわかっているのに。

知人達は皆くちをそろえて言います。
「まだ27歳じゃないこれから一杯産めるよ。」と。
確かに子供は産めるけど亡くなった娘はかえってこないのに・・・残酷です。
私の人生でこんなにツライ思いをするなんておもってもみませんでした。
障害なんて、子供を亡くすなんて、以前の私は
少しも考えた事はありませんでした。
娘を亡くして、娘が障害者になるかもしれない、と言われて
初めて考えるようになりました。
障害のある方への思いやりがもてるようになりました。
今までとは違った視点から「生」についてみれるようになりました。
娘を身ごもり、出産し、亡くしたことに後悔はありません。
ただやはり、次の妊娠でもし同じ目に遭うのであれば妊娠したくないです。
もう二度とこんなツライ思いはしたくないです。
でももしかしたらまた同じツライ思いをするかもしれなくても、
まさかを信じ妊娠したいです。
その、まさかが実際に起きてしまったというのに・・・・・懲りない人間です。
ただ一つ言えるのは我子を失う苦しみを知った人達と、
確かに存在した我子について話し合い、苦しみをわかちあいたい。
一人ではさみしすぎるということです。